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にきびと吹き出物

にきびと吹き出物 というと非常に悩まされている方も多いと思います。20歳過ぎの女性が、脂の浮いた顔にぶつぶつ(吹き出物)をつくっているのを、見かけることがあります。

にきびと吹き出物

にきびと吹き出物

にきびと吹き出物 同じものだと思う人が多い

本人は、それをにきびと思いこみ、原因をホルモンのせいだと認識している人が多いのですが、にきびと吹き出物は、症状としては、よく似ていますが、原因は異なります。

にきびはホルモンが関係しています。思春期になると、それまで働いていた成長ホルモンに転換されます。
この時期に、一時的にホルモンのバランスが乱れ、関連として皮脂の分泌異常が生じてにきびが現れることがあります。しかし、やがてホルモン分泌が正常になってにきびは20歳ころまでに消えていきます。

皮膚の構造

皮膚は、膚(はだ)とも書き身体をすっぽり覆っている風呂敷のようなものです。拡げると、1.5 平方mくらいの広さがあり、2~3 mm の厚みで全身を包み、自然の開口部で粘膜に移行しています。

皮膚の構造は、表皮、その裏打ちをしている真皮、真皮の下にある皮下組織の3つの層から構成させれています。
付属器官には、角質器(爪と毛)、皮膚線があり、皮膚線は汗腺と皮脂腺とがあります。

皮脂の正常な分泌で美肌つくりを

顔の表面では、汗腺のだす汗(水分)と皮脂腺からでる皮脂とが、乳腺状に混ざり合って皮脂膜をはります。

これによって、肌は保護され、艶と潤いのある生き生きとした感触が保たれます。つまり、皮脂の正常な分泌が美肌つくりの基本となるわけです。
美肌を考えたときには、高価な化粧品を選ぶより、中から美しくなる方法を選ぶほうが効果的です。

手当のポイント

皮脂腺でつくられた皮脂は、毛穴を通って皮膚の表面に分泌されます。このとき、なんらかの事情で分泌異常が続くと、やがて面胞ができ、他方で毛穴の代謝が悪くなります。

そこへ細菌が入ると化膿します。これがにきび、吹き出物、と言われる物です。

ニキビは額を底辺にした逆三角形の範囲にできやすく、吹き出物は口の周囲を中心にぶつぶつがみられます。手当のポイントは、いずれの場合でも肌を清潔にし、面胞の時点で早めに治すように、心がけることです。

化膿してしまった場合は、患部をいじめないことです。にきびは、額にでやすいため、よく額を頭髪で隠しているのを見かけますが、これは逆効果です。
にきびの原因は、遺伝的要素に加えて、年齢 食べ物 季節 職業 胃腸機能 が深く関わっています。

お腹の鳴る吹き出物

吹き出物は、下腹部の冷えによる胃腸の機能低下が主な原因です。吹き出物が気になる方は、漢方医学書にある「陰証なお強く腹中雷鳴あるは…」とあるようにへそより下でグーグー鳴ることがよくあります。

また、腹満といって、常にお腹が張った感じの場合もあります。いずれの場合も、お腹に冷えがあるために消化不良となって、ガスが生じて鳴る物です。

皮膚の役割

皮膚は、体を守るためにいろいろな役割をもっていますが、とくに大切なのが、毛細血管や皮膚表面の収縮と拡張によって体温を調節すること。それに発汗によって体内水分や老廃物を体外へ排出することです。
また、皮膚はわずかですが、炭酸ガスを出して酸素を取り入れる呼吸作用も行います。
はじめてメイキャップしたときに、息が詰まったように感じるのは、皮膚呼吸が妨げられるからです。

皮膚とお腹は表裏一体

外部環境から体を守のは、体表では皮膚、体内では口からはじまる消化管粘膜です。
生物の進化の初期には、皮膚が腸の役割をかねていて、やがて腸の機能が独立し内臓なっていきました。
その進化が現代人の生理にもはっきり残っていて、お肌とお腹は表裏一体といえるほどの深い関係なのです。

美肌への第一歩

にきび 吹き出物 を治し、美しい肌を保つには、まずはお腹をきれいにすることです。
食事はよく噛んで腹八分目を心がけ、体を冷やしたり食べ過ぎたりしないことが大切です。
冷えと食べ過ぎがあると、腸内毒素の発生が多くなり、吹き出物を悪化させます。
美肌への第一歩は便秘、宿便の解消といえるでしょう。

にきびができていたら困る…1週間後には大事なデート…なんて場合には 特保の 「 イサゴール 」などでおなかの中をキレイにすると肌もぴちぴちになります。効き過ぎて下痢をしてしまうとこれも肌荒れの原因になるので、最初は量を少なめにして試すといいでしょう。もちろん、食物繊維や水分も十分に摂ります。

スキンケアによるニキビの解消方法は、こちら

体の声に素直に耳を傾ける

体の声に素直に耳を傾ける というのはどういうことでしょうか?そもそも、純粋に健康を考えた場合、現代社会でベジタリアンを続けることには少々問題があるでしょう。

たとえば、文部科学省が公表している食品成分標準表を比較すると、この50~60年の間に、野菜に含まれるビタミンやミネラルの量が軒並み減少しています。

体の声に素直に耳を傾ける

体の声に素直に耳を傾ける

日本人が大事にしてきたもの。それは「道」と呼ばれます。茶道、柔道、剣道、武道…などで使われる「道」のことで、外国人から見ると奇異な印象を受けるものでもあるようです。

たとえば、勝負事の世界でも、日本では「技を追求すること」や「礼儀作法」を、勝つこと以上に重視するところがあります。

それは自分自身の内面の欲求に従ったもので、簡単に言うと、「自分が納得できるかどうか? 」が基準になります。

いくら周囲に評価され、いい結果が出ていたとしても、自分が納得し、諒解しないかぎり気持ちが晴れず、後ろめたい思いすら湧いてくる。このモヤモヤを解消するためには、内面の欲求を満たし、頭のなかの思いを腸にまで落とす必要があります。

「腑に落ちる」という言葉があるように、アタマ(脳)からハラ(腸)へと思いを落とすことで・納得が生まれるのです。

そこから、「これで大丈夫だ」という自信が湧いてきて心が安定するのです。それが、古くから重視されてきた「腹を作る」ことの意味です。

食事を改善し、腸を元気にすることも、この感覚を養っていくことになると考えてみてください。それは、自分の能力を存分に発揮して、自分が満足できる生き方をする土台になると思いませんか?

それは、たんに健康のために肉食を控えればいいわけではなく、もっと視野を広げ、身体感覚に優れていた日本人の感性を「思い出す」手段としてとらえてほしいのです。

そもそも、純粋に健康を考えた場合、現代社会でベジタリアンを続けることには少々問題があるでしょう。

たとえば、文部科学省が公表している食品成分標準表を比較すると、この50~60年の間に、野菜に含まれるビタミンやミネラルの量が軒並み減少しています。微量栄養素が減っているということは、酵素の活性が低下して食材の生命力が落ちているということ。

有機栽培や無農薬栽培、自然栽培の野菜であっても、こうした生命力の低下がどこまで防げているかはわかりません。「産地直送の新鮮な食材」にしても、栽培環境も栽培法も様々であり、公的機関が認証しているからといって生命力が高いとまでは言えないでしょう。

たとえば、体にいいとされている 玄米菜食 を、1ヶ月ほど試してみても体の調子がいっこうに改善しないなら、どこかに問題があるということです。玄米 の質が思いのほか高くないのかもしれませんし、真面目に取り組むあまり、ストレスになってしまっているのかもしれません。最終的には何を食べるかよりも、どんな気持ちで食べるかのほうが、はるかに重要だからです。

「肉の摂りすぎは体に悪い」と言われる一方で、「肉類を多く食べたほうが長生きできる」というデータもあります。

高齢者だからといって肉を減らすことでむしろ短命になるというのですが、食べ物の質を考えたら、このデータも決して不思議なものではありません。こうした研究では、肉に含まれるタンパク質が重要だとよく説かれますが、このとらえ方がすべてではありません。

「植物の生命力が落ちてしまっている」ところに根本原因があると考えると、不足分を肉で補ってあげたほうが体にはプラスになるとも言えるからです。粗食(菜食)が悪いわけでも、肉食が悪いわけでもなく、体の声を開かずに「正しい食事」を続けようとするところに問題があるのではないでしょうか?

体の声を聞く。それは、「腸の声」を聞くということにほかなりません。難しく考えなくていいのです。お通じの回数、便の硬さやにおいを調べれば、おおよその傾向は見えてきます。

腸内腐敗を引き起こす悪玉菌 は、主にタンパク質をエサにしています。だから肉類の摂りすぎはマイナスとなりはしますが、こうした悪玉菌たちはストレスで増えることもわかっています。つまり、食事だけが問題なのではなく、ライフスタイルにも原因が隠されているということです。

それだけストレスフルな生活であり、しかもそのケアがうまくできていないということです。その意味では、肉食もそれ自体が悪いわけではなく、ストレスと結びつくことで腸内腐敗をうながす側面が強いだけと言えます。

肉類をガツガツと食べている時の心の状態が、ストレス解消の意味合いが強いものだとしたら、確かに体には良くありません。腸も喜んではいないでしょう。

昔の日本人 はそんな食べ方をしなくても、ずっと元気に過ごせていたのです。ライフスタイルの一部として食事の意味をとらえ直し、「肉を食べれば元気になれる」という発想をいったん保留にしてみる。そして代わりに、もっと植物や微生物の力を見直してみてはいかがでしょう。

そこに伝統的な日本食の価値も浮かび上がってきます。こうして食事の意味が柔軟にとらえられるようになれば、もう少し排他的でない、「ちょうどいい加減の菜食主義」が実践できるはずです。
まずは、習慣となってしまっている現代人特有の便秘を解消し、スッキリしたところで脳と腸の声に耳を傾けてみるのがいいでしょう。

昭和30年代の食習慣は腸にプラスになるか?

日本人は脳が発達しても 「 拡大発展病 」 にならなかった

日本という国が特徴的なのは、こうした拡大発展病にあまり雁患しなかった点にあります。
日本列島は大陸のほかの地域(たとえばメソポタミアやエジプト、中国など) と比べると農耕の開始がかなり遅れ、縄文時代という1万年にもおよぶ独自の狩猟採集社会が続いていました。

それはわざわざ農耕を営まなくても暮らしていけるほど豊かな自然環境が用意されていたからであって、かつての歴史学が語ってきたような「貧しかったから」「遅れていたから」というものではないでしょう。

いまから1万3000年ほど前、大陸から日本列島が切り離されて以降、四季がめぐりくる特有の気候風土が形成されていきました。

日本人は脳が発達しても 「 拡大発展病 」 にならなかった

日本人は脳が発達しても 「 拡大発展病 」 にならなかった

大陸からの寒流が対馬海流で温められて蒸発し、日本列島の山脈にぶつかることで豪雪地帯が生まれ、この雪から清流が生まれ、水が大地を潤すことでブナ林も広がってきました。

この過程でハンティングの対象だったナウマン象やオオノツジカなどは捕れなくなり、植物の貯蔵に適した土器が用いられるようになりました。

狩猟採集時代と言いながらも、狩猟にあまり依存しないですむ、かといって農業のような集団生産にも進んでいかない、自然とのつながりを土台にした半定住型の社会が築かれていたと思われます。

この恵まれた環境のなかで徐々に肉食の割合が減り、植物食へと回帰する傾向があったわけです。

こうした社会に稲作が導入されたのは、寒冷化によって主食にしていたクリやドングリなどが十分に採取できなくなったことなどが関係すると言われますが、ライフスタイルまで急に崩れ去ったわけではないでしょう。

むしろゆるやかに持続したまま稲作が始まり、遅まきながら「拡大発展病」にも雁患していったはずですが、この1万年の貯金が症状の悪化を抑制した面も強かったのではないでしょうか。

日本が「和」の社会と言われているのも、この貯金のたまものであるはずです。原始社会に見られる共同体感覚がほとんどそのまま農耕社会に持ち越されたため、社会が複雑化しても争いごとを好まない感覚が温存され、自分たちのアイデンティティにまで根づいていったと考えられるのです。

もちろん、その背景には食事の内容も関係しているはずです。これまで繰り返してきたように、生物は腸をベースにして生命活動を営んでいる存在です。

腸の感覚を優先する ことで心地よさが生まれるように私たちの体はできているわけです。

「和の民族」である日本人は、この2つをうまく操り、争いを未然に防ぐことに長たけています。それは起源の古い「腸」のほうに自分自身の土台があることをわかっていたからでしょう。なぜなら、頭でっかちの状態であるかぎり、相手のホンネを読み取って調和をはかることなどできないからです。

ところが近年、食事が変わり、腸の働きが低下してしまったことで、ホンネがうまく感じ取れなくなり、頭でっかちの人が増えてしまった。理屈ばかりで相手の感情がうまく感じ取れないのです。

禅宗のお坊さんが座禅に打ち込む意味も、こうした脳と腸の関係からひも解くと一気にわかってきます。すなわち、被らは座禅によって下半身をどっしりと安定させ、脳の過剰な働きから離れることで、脳と腸の葛藤を乗り越え、心身の調和をはかることを目指していると言えるのです。

自分は、本当は何を望んでいるか?そして何を望んでいないのか?理屈ではなく、腸(腹)で感じる。それは、体の中心に眠っている生物としての感覚を「思い出す」プロセスと考えてもいいでしょう。心地よいことも不快なことも、自分の気持ちはすべて腸の反応として現れます。

最近、ストレス性の下痢症状 ( 過敏性腸症候群 ) に悩む人が増えているのは、脳の働きに頼るあまり、腸で感じているホンネを抑圧してきた結果かもしれません。

過敏性腸症候群 は大腸に腫瘍や炎症など症状の原因となるような病気がないにも関わらず、おなかの調子が悪く痛みが続いたり、便秘や下痢などの症状が数ヵ月以上にわたって続く消化管の機能障害の疾患です。 排便することで楽になる腹痛と、下痢や便秘などの便通異常が主な症状です。 ストレスが症状を悪化させる要因の1つと考えられています。

これは、体の発するサインですから、決して悪いことではなく、体の中心に目を向けていくきっかけにもなります。過敏性腸症候群 が発するサインとみなければいけません。

ほんの少し視点を変えるだけで、「自分の望んでいること」はキャッチできるのです。

禅の世界で精進料理のような菜食が取り入れられているのも、腸の働きを安定させ、感情の乱れを最小限に抑えようとする意図からでしょう。

肉食から草食へと切り替えるのですから、より本質的な見方をするならば、「猿の時代に回帰する」とも言えるかもしれません。

人の「業」が肉食によって増幅したとするならば、「まずは猿まで戻って業を取り除き、生物としての感覚を思い出せ⊥ というわけです。「肉食を制限することで健康が得られる」というとらえ方だけでは、こうした意識とのつながりが見えてきません。

実際、菜食に徹したお坊さんが長生きしているとはかぎりません。彼らが求めているのは「憤り」であって、健康ではないのです。日本食についても ヘルシー であるということばかりに重きが置かれると、日本人が何を大事にしてきたのか? 肝心な点が見失われてしまうでしょう。