体の声に素直に耳を傾ける

日本人が大事にしてきたもの。それは「道」と呼ばれます。茶道、柔道、剣道、武道…などで使われる「道」のことで、外国人から見ると奇異な印象を受けるものでもあるようです。たとえば、勝負事の世界でも、日本では「技を追求すること」や「礼儀作法」を、勝つこと以上に重視するところがあります。
それは自分自身の内面の欲求に従ったもので、簡単に言うと、「自分が納得できるかどうか? 」が基準になります。

いくら周囲に評価され、いい結果が出ていたとしても、自分が納得し、諒解しないかぎり気持ちが晴れず、後ろめたい思いすら湧いてくる。このモヤモヤを解消するためには、内面の欲求を満たし、頭のなかの思いを腸にまで落とす必要があります。

「腑に落ちる」という言葉があるように、アタマ(脳)からハラ(腸)へと思いを落とすことで・納得が生まれるのです。そこから、「これで大丈夫だ」という自信が湧いてきて心が安定するのです。それが、古くから重視されてきた「腹を作る」ことの意味です。

食事を改善し、腸を元気にすることも、この感覚を養っていくことになると考えてみてください。それは、自分の能力を存分に発揮して、自分が満足できる生き方をする土台になると思いませんか?それは、たんに健康のために肉食を控えればいいわけではなく、もっと視野を広げ、身体感覚に優れていた日本人の感性を「思い出す」手段としてとらえてほしいのです。

そもそも、純粋に健康を考えた場合、現代社会でベジタリアンを続けることには少々問題があるでしょう。たとえば、文部科学省が公表している食品成分標準表を比較すると、この50~60年の間に、野菜に含まれるビタミンやミネラルの量が軒並み減少しています。微量栄養素が減っているということは、酵素の活性が低下して食材の生命力が落ちているということ。

有機栽培や無農薬栽培、自然栽培の野菜であっても、こうした生命力の低下がどこまで防げているかはわかりません。「産地直送の新鮮な食材」にしても、栽培環境も栽培法も様々であり、公的機関が認証しているからといって生命力が高いとまでは言えないでしょう。

たとえば、体にいいとされている玄米菜食を、1ヶ月ほど試してみても体の調子がいっこうに改善しないなら、どこかに問題があるということです。玄米の質が思いのほか高くないのかもしれませんし、真面目に取り組むあまり、ストレスになってしまっているのかもしれません。最終的には何を食べるかよりも、どんな気持ちで食べるかのほうが、はるかに重要だからです。

「肉の摂りすぎは体に悪い」と言われる一方で、「肉類を多く食べたほうが長生きできる」というデータもあります。高齢者だからといって肉を減らすことでむしろ短命になるというのですが、食べ物の質を考えたら、このデータも決して不思議なものではありません。こうした研究では、肉に含まれるタンパク質が重要だとよく説かれますが、このとらえ方がすべてではありません。

「植物の生命力が落ちてしまっている」ところに根本原因があると考えると、不足分を肉で補ってあげたほうが体にはプラスになるとも言えるからです。粗食(菜食)が悪いわけでも、肉食が悪いわけでもなく、体の声を開かずに「正しい食事」を続けようとするところに問題があるのではないでしょうか

?体の声を聞く。それは、「腸の声」を聞くということにほかなりません。難しく考えなくていいのです。お通じの回数、便の硬さやにおいを調べれば、おおよその傾向は見えてきます。

腸内腐敗を引き起こす悪玉菌は、主にタンパク質をエサにしています。だから肉類の摂りすぎはマイナスとなりはしますが、こうした悪玉菌たちはストレスで増えることもわかっています。つまり、食事だけが問題なのではなく、ライフスタイルにも原因が隠されているということです。

それだけストレスフルな生活であり、しかもそのケアがうまくできていないということです。その意味では、肉食もそれ自体が悪いわけではなく、ストレスと結びつくことで腸内腐敗をうながす側面が強いだけと言えます。

肉類をガツガツと食べている時の心の状態が、ストレス解消の意味合いが強いものだとしたら、確かに体には良くありません。腸も喜んではいないでしょう。昔の日本人はそんな食べ方をしなくても、ずっと元気に過ごせていたのです。ライフスタイルの一部として食事の意味をとらえ直し、「肉を食べれば元気になれる」という発想をいったん保留にしてみる。そして代わりに、もっと植物や微生物の力を見直してみてはいかがでしょう。

そこに伝統的な日本食の価値も浮かび上がってきます。こうして食事の意味が柔軟にとらえられるようになれば、もう少し排他的でない、「ちょうどいい加減の菜食主義」が実践できるはずです。
まずは、習慣となってしまっている現代人特有の便秘を解消し、スッキリしたところで脳と腸の声に耳を傾けてみるのがいいでしょう。

日本人は脳が発達しても「拡大発展病」にならなかった

日本という国が特徴的なのは、こうした拡大発展病にあまり雁患しなかった点にあります。日本列島は大陸のほかの地域(たとえばメソポタミアやエジプト、中国など) と比べると農耕の開始がかなり遅れ、縄文時代という1万年にもおよぶ独自の狩猟採集社会が続いていました。それはわざわざ農耕を営まなくても暮らしていけるほど豊かな自然環境が用意されていたからであって、かつての歴史学が語ってきたような「貧しかったから」「遅れていたから」というものではないでしょう。

いまから1万3000年ほど前、大陸から日本列島が切り離されて以降、四季がめぐりくる特有の気候風土が形成されていきました。

大陸からの寒流が対馬海流で温められて蒸発し、日本列島の山脈にぶつかることで豪雪地帯が生まれ、この雪から清流が生まれ、水が大地を潤すことでブナ林も広がってきました。この過程でハンティングの対象だったナウマン象やオオノツジカなどは捕れなくなり、植物の貯蔵に適した土器が用いられるようになりました。

狩猟採集時代と言いながらも、狩猟にあまり依存しないですむ、かといって農業のような集団生産にも進んでいかない、自然とのつながりを土台にした半定住型の社会が築かれていたと思われます。この恵まれた環境のなかで徐々に肉食の割合が減り、植物食へと回帰する傾向があったわけです。

こうした社会に稲作が導入されたのは、寒冷化によって主食にしていたクリやドングリなどが十分に採取できなくなったことなどが関係すると言われますが、ライフスタイルまで急に崩れ去ったわけではないでしょう。むしろゆるやかに持続したまま稲作が始まり、遅まきながら「拡大発展病」にも雁患していったはずですが、この1万年の貯金が症状の悪化を抑制した面も強かったのではないでしょうか。

日本が「和」の社会と言われているのも、この貯金のたまものであるはずです。原始社会に見られる共同体感覚がほとんどそのまま農耕社会に持ち越されたため、社会が複雑化しても争いごとを好まない感覚が温存され、自分たちのアイデンティティにまで根づいていったと考えられるのです。

もちろん、その背景には食事の内容も関係しているはずです。これまで繰り返してきたように、生物は腸をベースにして生命活動を営んでいる存在です。腸の感覚を優先することで心地よさが生まれるように私たちの体はできているわけです。

「和の民族」である日本人は、この2つをうまく操り、争いを未然に防ぐことに長たけています。それは起源の古い「腸」のほうに自分自身の土台があることをわかっていたからでしょう。なぜなら、頭でっかちの状態であるかぎり、相手のホンネを読み取って調和をはかることなどできないからです。

ところが近年、食事が変わり、腸の働きが低下してしまったことで、ホンネがうまく感じ取れなくなり、頭でっかちの人が増えてしまった。理屈ばかりで相手の感情がうまく感じ取れないのです。

禅宗のお坊さんが座禅に打ち込む意味も、こうした脳と腸の関係からひも解くと一気にわかってきます。すなわち、被らは座禅によって下半身をどっしりと安定させ、脳の過剰な働きから離れることで、脳と腸の葛藤を乗り越え、心身の調和をはかることを目指していると言えるのです。

自分は、本当は何を望んでいるか?そして何を望んでいないのか?理屈ではなく、腸(腹)で感じる。それは、体の中心に眠っている生物としての感覚を「思い出す」プロセスと考えてもいいでしょう。心地よいことも不快なことも、自分の気持ちはすべて腸の反応として現れます。

最近、ストレス性の下痢症状(過敏性腸症候群)に悩む人が増えているのは、脳の働きに頼るあまり、腸で感じているホンネを抑圧してきた結果かもしれません。それは体の発するサインですから、決して悪いことではなく、体の中心に目を向けていくきっかけにもなります。

ほんの少し視点を変えるだけで、「自分の望んでいること」はキャッチできるのです。

禅の世界で精進料理のような菜食が取り入れられているのも、腸の働きを安定させ、感情の乱れを最小限に抑えようとする意図からでしょう。肉食から草食へと切り替えるのですから、より本質的な見方をするならば、「猿の時代に回帰する」とも言えるかもしれません。人の「業」が肉食によって増幅したとするならば、「まずは猿まで戻って業を取り除き、生物としての感覚を思い出せ⊥ というわけです。「肉食を制限することで健康が得られる」というとらえ方だけでは、こうした意識とのつながりが見えてきません。

実際、菜食に徹したお坊さんが長生きしているとはかぎりません。彼らが求めているのは「憤り」であって、健康ではないのです。日本食についてもヘルシーであるということばかりに重きが置かれると、日本人が何を大事にしてきたのか? 肝心な点が見失われてしまうでしょう。

とは言っても肉食で進化してきた人間

昔の日本人が発酵の力でパワーがみなぎっていたことを紹介しましたが、これは、肉食を始めたから日本人はダメになった!というわけではありません。肉食をやめたほうが健康的だといった菜食主義の考え方もありますが、人という存在はそこまで単純ではありません。

肉食は、脳の発達に深く関与しており、人類は肉を食べるようになったことで進化し、ここまで文明を発展させてきた事実もあります。理解しておきたいのは、人と遺伝子レベルでほとんど変わらない猿は、「ベジタリアン」だったということです。
昆虫なども少しは食べますが、主食としていたのは果物や木の実で、人のようにほかの動物の肉を求めることはありません。この猿が、なぜ人ヘと進化したのか?

定説では、およそ700万年前にアフリカの大地溝帯が地殻変動を起こし、この地に棲んでいた猿たちが森の暮らしを追われたことが一因とされています。これが人の誕生と、どうつながってくるのか?諸説がありますが、ここで重視したいのは森の暮らしを追われることでそれまでの食生活が大きく変化した点です。

過酷な環境下を生き延びるには、それまで食べていた果物や木の実以外のものも口にしなくてはなりません。そこで初めて「動物の肉」を食べることに意識が向くようになったということです。

初期の人類は、野生動物の食べ残した屍肉をあさり、骨髄などから脂肪分を摂取していたと考えられています。脳の主成分は脂質ですから、こうした骨髄食が脳を少しずつ大きくしていったことは十分に考えられます。初期の人類の脳の容量は、300~500ccとほとんどサルと同じですが、私たちの祖先にあたるホモ・サピエンスは、1300~1500ccにまで肥大化させています。この大きくなった脳が人類の文明を生み出す原動力になったわけです。

人は脳を大きく進化させ、知恵を発達させることで生き延び、今日にいたるまでに多種多様な文明、文化を築き上げてきました。肉食によって脳が大きくなって、いいことばかりだったわけではありません。自然界から見れば、この種の知恵は明らかに「過剰」なものだからです。

脳が肥大化して知恵が発達しすぎると、感情、本能、直観といった動物的な感覚よりも「思考」のほうが優先されるようになります。思考によって直観が鈍り、感情が増幅されることもあるでしょう。

たとえば、猫疑心、取り越し苦労、過度の不安などは、ほかの動物には見られないきわめて人間的なものです。動物的な感覚がベースになってはいますが、脳(思考)がこれを増幅させ、むしろ本来の感覚を遠ざけてしまっているわけです。

この傾向は、農耕や牧畜が始まり、定住社会が形成されていくにつれて顕著になります。定住化し、都市を作るということは、たんに集団生活を営むことにとどまらない側面があるからです。専門家は、こうした過剰なものの象徴として文字の発明と巨大建築物の建造を挙げています。

どちらも自己を誇示したり、正当化させたりするための手段としての側面が強く、生きるために絶対に必要だったとは言えないとしています。こうした自己顕示の背後には、過剰なものをたえず生み出さずにはいられない人の病、「拡大発展病」がひそんでいると指摘します。

この拡大発展病のルーツは、さかのぼっていけば、人をたらしめた脳の肥大化にほかなりません。

宗教の言葉を借りれば、脳が大きくなることで「業」が生まれたわけです。肉を食べるということは、食べなければ生きられなかった現実が背景にある以上、善悪で語れるものではありません。少なくとも、「体にいいかどうか? 」という点だけで評価できるものではないでしょう。

ただ、結果として、脳と腸の対立、そこからホンネとタテマエの対立が生まれたと言えるかもしれません。肉食によって進化を手に入れた私たちは、同時にこうした葛藤に向きあわなければならなくなったわけです。

昔の日本人の強さを取り戻すならやっぱり「発酵力」

「日本食=ヘルシー=長寿」と考える人は多いのですが、それは、食べ物と人との関係のほんの1つの側面にすぎません。確かに日本人は、この50~60年の間に平均寿命を飛躍的に延ばしました。これについては、意見もわかれるところで「薬漬けの医療によってただ延命させられているだけ」という意見もありますが、高齢者全員が寝たきりだとか、ひどい不調を抱えているわけでもありません。

「メタボ」も問題視されていますが、本当にメタボが問題になっているのは「肥満大国」アメリカです。一般的なアメリカ人の食事から見れば、日本食は明らかにヘルシーです。食生活が欧米化し、ジャンクフードが増え、飽食になったことで生活習慣病が増えているのは間違いありませんが、世界的に見れば、そこまで「ひどい」わけではなく、まだまだヘルシー。とはいえ、「健康長寿」についてはもう少し考えなければなりません。

寿命」が過去のどの時代よりもずば抜けて延びたからといって、「現代人の健康レベルが過去のどの時代よりも高い」とは言えないからです。「あまり医者の世話にならずに、ある程度、長生きできるくらいの健康」 医療現場ではこのレベルの「健康長寿」が目標とされているわけですが、それは社会生活を営むうえでの最低限度の基準でしかありません。

「肉食」は体に良い? 悪い? どっち?でも実際に私たちが求めているのは、この最低限度の「健康長寿」ではなく、もっと活力に満ちた高いレベルであるはずです。はたして私たちは、昔の人よりもエネルギッシュに、いきいきと過ごせているでしょうか?

自分の能力を最大限に発揮できる「健康レベル」を、どのくらい保てているでしょうか?健康診断の数値がすべて良好だったとしても、それがその人のバイタリティーやヤル気と完全に重なるわけではありません。そう考えると、数値にしにくいもののなかに、本当の健康の基準があることが見えてくるでしょう。

こうしたバイタリティーややる気を「生命力」と呼ぶならば、日本人の生命力は明らかに落ちてしまっています。断言する理由を、この先でいくつか挙げていきますが、「過去最低」と呼べるくらいのひどい水準かもしれません。

数値化できないからと言って「ない」と見なしてしまえば、いまの日本社会の抱える問題がいっこうに見えてきません。こんなに低い健康レベルでは、困難に立ち向かい、問題を解決していくことも不可能です。生命力が落ちてしまっている以上、不況や日常生活で襲いかかってくる危機から脱け出す糸口も、なかなか見つけられないでしょう。

グローバルになった社会のなかで自己の能力をフルに発拝していくためにも、その土台となる生命力(バイタリティ⊥ を高めていく必要があるのです。

日本人の生命力が落ちてしまったのはわかるとしても、過去最低というのは、大げさすぎる!と思われた方もいるかもしれません。

しかし、生物としての体の構造をふまえると、心身の健康の母体はあくまでも腸にあります。腸こそが、食べ物を取り込み、排泄する消化管であるのです。日本人は植物を中心とした独自の食文化を築くことで腸の健康を養い、それゆえ高い生命力を維持してきましたが、現代はどうでしょうか?

生命力を養う食べ物を本当に摂取できているでしょうか?戦後の日本では米の摂取量が激減し、代わりに肉類や乳製品の摂取が大幅に増えました。発酵食品については、味噌や醤油の「質」そのものが落ち、漬け物もあまり食べられなくなりました。最近は、減塩には漬け物がよくない!とまで言われてしまっています。

質が落ちたというのは、原材料の質のほか、発酵のレベルも関係しています。代わりにヨーグルトなどが食べられる機会が増えましたが、食文化の根幹が崩れてしまったところに外国の発酵食品を少しばかり取り入れても、生命力の低下を挽回するほどの効力には及びません。

逆に、毎回、腸と相性がいい食事が当たり前にできていた過去の日本人は、一般的に想像されている以上に生命力が強かったと考えられます。それは、たとえば伝統的な武術の動きなどを見ていくと体の使い方そのものが非常に合理的で、現代の一般的なアスリートとは動きの質がまったく違うことからもわかります。

動きの質が違っていれば、生き方の質も違っていたはず。庶民も含めて、立ち居振る舞いそのものが現代人より秀でていたでしょう。彼らは肉類をあまり摂らず、特殊な筋力トレーニングも、ストレッチもせずに、こうした美しさや、ナチュラルな強さを維持していたわけです。

表面的な健康寿命は延びたが、根幹にある生命力は著しく低下した。もともと持っていた食文化を捨てていくことで、生物としての強さまでも失いつつあるのが、現代の日本人の姿ではないでしょうか。学校で習った体育やスポーツの世界の常識しか知らないと、イメージが湧きにくいかと思いますが、体の使い方ということに関しては、いまとは比べものにならないくらい昔の日本人は秀でていたのです。

肉は食べずに野菜や穀物だけで元気だった日本人

日本国が成立したのは7世紀ごろとされていますが、日本列島にはそれ以前から人間が住みつき、生活を営んでいました。世界史全体で見てもかなりユニークなライフスタイルだったと記されています。特に、食事内容はユニークで、大陸で暮らす人々とは異なる独自の食文化を形成していました。

  1. 米などの穀物に依存し、肉類をあまり食べない。
  2. 豊富な発酵食品を生み出し、食文化に取り入れていた。

この2つに絞って考えてみます。
最近は、日本食はヘルシーだという評価が世界的に広まり、欧米の著名なアーティストや女優さんが和食を取り入れています、それはこれらのエッセンスが複合することで得られ力ものと言えるかもしれません。際立っているのは菜食(植物)にかなり依存していたという点。いまでこそ肉類の摂取量が増えましたが、かつての日本人は粗食ながら頑強で、1日に200キロ走った飛脚を例に挙げるまでもなく、その身体能力はずば抜けていました。

1の「米などの穀物に依存し、肉類をあまり食べない」
という傾向は、稲作が始まった弥生時代以降と言われていますが、それ以前の縄文時代も、動物性のものを多食していたわけではなかったようです。食事の内容は、ドングリやクリなどの木の実、芋類、ヒエなどの穀類を中心に、魚貝類やまれに小動物も食べていたことでしよう。

世界的には農耕が始まる以前の人類は、狩猟採集を基盤にしていたため、肉食の割合がかなり高かったと考えられます。大陸ではそれが牧畜文化へと発展していくのですが、日本列島に渡ってきた人々はこのルートをたどらず、逆に徐々に肉食を減らしていった可能性があります。

つまり、コメを主食にしていなかったガけで、「植物をたくさん食べる」という土台はすでにできあがっていたのです。大陸では農耕や牧畜が始まることで食事の内容がガラリと変化しますが、日本列島は、そのどちらも行なわれない時代が長く続きました。1万年以上続いたとされる縄文時代は、狩猟採集時代に分類できるものの、内容的には狩猟(肉食)からゆっくりと脱け出す期間でもあったといえるでしょう。

次に2の「豊富な発酵食品を生み出し、食文化に取り入れていた」についてです。

味噌や醤油、漬け物などの発酵食品が作られるようになったのは、稲作開始よりさらに後のことだと考えられています。微生物の力を借りて食べ物を発酵させるというのは、植物を効率よく取り込むための応用編のようなものです。

目には見えない菌や酵母の力を借りるには、高度な技術が必要であり、その前提になるのは環境です。食べ物の発酵に適した温暖湿潤な気候風土は、縄文時代の段階ですでに整っていたと考えられています。日本列島では、乳製品を発酵させた大陸とは異なり、植物をベースにした独自の発酵文化が形成されていったわけですが、こうした発酵食の利点は「腸との相性」がきわめて良かったことにあります。

腸との相性があまり良くない「たんぱく質」も、発酵するとアミノ酸に分解されて消化しやすくなります。たとえば、そのままでは硬くて食べにくい大豆も、発酵させて味噌や納豆にすることで、消化のいい良質なたんぱく源になります。

日本人が肉食に依存しなくても元気でいられたのは、こうした発酵の力によるところが大きいでしょう。植物や微生物とうまく調和していれば、腸の働きは安定し、精神も安定してきます。

昔の日本人が現代人より元気だったのは、世界的にも恵まれた自然環境のなか、「腸と相性のいい食事」を常食することができたため。植物や微生物とのつきあい方に関しては、栄養価が高いものを食べているはずの現代人よりはるかに優れていたといえるでしょう。

下半身からくる冷えに注意

体のエネルギー

人間が生活していくためには、必須のエネルギーですが、この エネルギーは、細胞に取り入れられた栄養素の代謝により生成され、熱に交換して体温を保ったり、各細胞組織が独自の働きを営むための熱源となります。
人間の体内で行われる代謝(生命活動)とは連続的な化学反応であることがわかります。

酵素の活躍

酵素というのは、高分子のたんぱく質です。細胞の中には、膨大な酵素があり、ひとつの酵素は決められたひとつの仕事しかしないので、判明しているだけでも数千種類の酵素があります。
こられの酵素は、環境と温度には非常に敏感です。人間の体温が一定に保たれているのは酵素のおかげです。酵素は体温調節機能が働いているおかげで円滑に仕事をしてくれます。体内で作られるエネルギーの60~70%は体温維持のための体熱生産に使われます。

現代人の体温は低下傾向

日本人の平均体温は、腋の下で、成人が36.8~36.9度、幼少時は成人より0.5度前後高く、高齢者は低くなっている。これが従来の統計でした。ところが、最近は成人や児童の平均体温が低下する傾向にあります。
子供はアイスクリームや清涼飲料水で身体を冷やし、成人の男性はビールで体を冷やし、成人の女性はサラダや季節を無視した食材により体を冷やしています。これにより体温は低下する一方です。

冷房と運動不足

これに加えてさらに冷暖房完備の室内で長期間過ごし、運動不足の日常を送っていれば、体温低下にますます拍車をかけることになります。
エネルギーの発生が低下すれば、基礎代謝が低下します。身体の熱変換も同時に弱くなります。体温が低くなるのは、当然です。
エネルギーは体熱つくりに優位的に消費されますからエネルギー不足は体力不足を招いてしまうのです。
TVを長時間見る小学生の調査を行ったところ、平均の体温36度以下であったことも報告されています。

冷えの症状(頭~足先)

  • 頭痛
  • うつ症状
  • 肩こり
  • 血圧の異常(最低血圧が高い)
  • アレルギー性鼻炎
  • 抵抗力が弱い(風邪をひきやすい)
  • せき
  • ぜんそく
  • 気管支炎
  • 慢性皮膚病
  • アトピー性皮膚炎
  • 冷房病
  • しもやけ
  • 全身的・局所的寒冷

  • 腹部うっ血
  • 冷え性・婦人病・不妊症
  • 肥満
  • 腎臓病
  • 尿道炎
  • 勢力減退
  • 不感症
  • 神経痛
  • リウマチ
  • アレルギー性体質
  • 夜尿省

  • にきび・シミ・吹き出物
  • アレルギー肌・肌あれ
  • 口内炎・胃腸障害・内臓下垂
  • 便秘・宿便・下痢・軟便
  • 腹鳴
  • 腹部膨満
  • 痔・蕁麻疹・慢性皮膚病
  • 腰痛
  • 慢性疲労

「冷え」は足元から次第にお腹→生殖器→肺へとあがってきます。

体温分布は一様でない

人の体温は、身体の部位によって温度差がみられます。腋下で36.5度前後とすれば、脳、肝臓、腎臓、消化器では38度前後を示しています。
身体の中で一番体温が低いのが足先で冬季には31度になります。
足先に届く血液は、帰り道に腹部大動脈の延長上にたり、帰り道の静脈は、腹部大動脈の延長上にあり、帰り道の静脈は、腹部大静脈を通って、心臓に届く仕組みになっています。そのために、足先で冷えた血液は、帰り道にお腹を冷やしてしまうのです。
さらに、足から心臓へと上に向かう腹部大静脈は重力に影響されて流れにくく足先で冷えた血液が腹部でうっ血するこになります。

頭寒足熱

漢方が医療の中心であったころは、口から冷たいものを入れる機会が少なかったために、足先からくる冷えを問題にしました。
そこで足を温め、頭を冷やす方法がうまれたのです。これが頭寒足熱です。これは健康のシンボルでもあります。
冷えは足元からやってくることを証明しているわけです。
冷えは足元からやってくるkとを先人達は体験をふまえて警告してきたのです。

頭寒足熱は健康のベーシック、筋肉があれば体の体温がアップする

老化も若返りも腸がキーワード

細胞レベルで老化を考える

冷えと便秘が老化を早めてしまう原因となります。。老化という現象は、自然の法則であってこれに抵抗することは、誰にもできませんが、老化の本質を見極めた上で適切な方法をとれば、老化を遅らせることが可能です。
人間はなぜ、老化するのか?これを細胞レベルで見ていきたいと思います。人間の身体は60兆個もの微少生命体の集合体です。各細胞は、集落をつくり組織となり、独自の機能をもっています。それぞれの組織は、お互いが協調しあい作動するようにいくつかの伝達系統でつながれていて人として全体活動を行っています。それが生命現象です。個々の細胞も生命体ですからそれぞれに寿命があり次々と消滅していきます。

細胞の増殖不能で死ぬ

細胞は増殖もしますから、外見上は人としてひとつの生命体が存続しているかのように見えることになります。
細胞自身は、増殖することによって、自分の生命を新しい細胞へと引継、その細胞も同様に繰り返し生命を引き継いでいます。
人間が親から子へ子から孫へと世代交代をしていくのと同じです。
細胞の増殖(再生)がなんらかの理由で途絶えたときが死亡です。
肝硬変という病気で考えた場合には、この病気はウィルスやアルコール、薬物などによって肝炎が進行し肝細胞の再生が不可能となった状態です。
細胞の再生が不可能になってしまうと、肝細胞の数はどんどん減少してついには、肝臓の働きがとまってしまうのです。

24時間で千億単位の細胞が死滅する

肝硬変の例からもわかるように病気とは細胞つくりを怠ったり、不完全なものをつくったり、細胞がつくれなかったりすることが、健康障害となってあらわれるのです。人間の体の細胞は、24時間で千億単位で死滅していきます。それを補うのが食事です。ところが、人間の場合、30歳を過ぎると、細胞をつくる能力が低下していきます。これが老化のはじまりです。寿命の限界があることがわかります。
それぞれの寿命には組織により異なります。皮膚、胃、腸などの細胞の寿命は短く、血液細胞は約4ヶ月、肝細胞は1年半、神経細胞は、身体の成長にしたがい伸びたりしますが、最後まで入れ替わりません。つまり、人の老化や健康障害、そして寿命までもが細胞単位で進むことがわかります。

不老不死

不老不死については、生理学者アレキシスカーレル博士が鶏での実験をしています。鶏卵の一部からとりだした心臓組織細胞の一片を培養によって28年以上も生かし続けました。これは本来の鶏の寿命の7~8倍にあたります。
実験は次のように行いました。細胞の一群を培養液の中に入れます。すると、この液は、細胞のだす老廃物の影響を受けて汚れ、細胞は増産できなくなります。培養液にいくら新しい栄養素を加えても、細胞は急激に老化して死滅していきます。
ところが、細胞の出す老廃物を、培養液から除去してやりながら、新しい栄養液を補うようにすると鶏の細胞は永久に増殖することがわかりました。
そうなんです。人間の細胞も老廃物を取り除くことが老化を抑えることになるのです。
細胞自身の働きやすい環境づくりがキーワードなのです。人間の場合、新陳代謝によって体内にできる老廃物をすみやかに掃除することです。
これだけでは、細胞は増殖しませんので、増殖に必要な素材を過不足なく補給する、つまり正しい食事を続けることが大切なのです。
こうして組織細胞の全てが元気に働いてくれれば、人間は若々しく健康な毎日を送ることが出来るのです。
老化を防ぐポイントは

  1. 食生活は細胞の増殖と代謝に必要な栄養素を過不足なく補う。不足は欠陥細胞を生み、過剰は老廃物を増やします。
  2. 細胞の働きやすい環境をつくる必要があります。冷えを解消し体温と体液の恒常性を維持する力を高めないといけません。
  3. 便秘・宿便といった腸内老廃物を排除して、常に善玉菌優性の腸内環境を保つ必要があります。

善玉菌を増やす食品については、こちらが参考になります。

肥満を深刻化させる便秘と冷え

減量ポイント

女性には本能的にやせ指向があります。しかし、健康を犠牲にした「ダイエット」には美しさはありません。適度の筋肉と脂肪がバランスよく配分されていることが「美しさ」の秘訣です。真の健康美はこうした体型をいいます。
ところが、女性のもつやせ指向の中には、こういった理屈を越えて心をかりたててしまいます。そこで、この機会に減量・肥満解消のための原理、原則を示したいと思います。
まずは、“肥満とは何か?”を正確に認識することが大前提です。次に自分の生活習慣を正しく把握することです。
そうでないと、食事療法や運動療法を実施しても実のないものになるおそれがあります。

肥満とは何か

肥満とは、身体を構成する成分のうち、体脂肪が過剰に蓄積した状態をいいます。体重が多くても、肥満であるとは限りません。成人の身体を構成する成分は、普通体重の7割弱が水分、残りは脂肪とたんぱく質で、この他に少量の糖質とミネラルがあります。
よく水太り、かた太り、脂肪太りといいますが、西洋以外では体脂肪が異常に増えた場合のみをを肥満といい、かた太りは、筋肉質、水太りはむくみと呼び、肥満とは区別しています。若いころからの大食の食習慣から抜けられない人、出産・育児の激務から開放された人、デスクワークばかりの仕事をしている人、中年太りの多くは、運動不足に起因しています。

運動が大切

人間の体はいったん太ってしまうとそれを維持しようとしてしまうので食事量を減らしただけではなかなか体重が減りません。
運動を脂肪を蓄えやすい代謝状態を除々に治す効果がありますのでダイエットには運動療法を欠かせないのです。

ダイエットの秘訣

多くのダイエット法が流布しており、情報も溢れんばかりですが、基本は「入れる、出す」のバランスです。こうしたダイエットを行うと美しい体型にする本来の本質的なダイエットをすることができます。
肥満に見られる高血圧、動脈硬化、脳血管障害、糖尿病、高脂血症、脂肪肝、胆石症、痛風、腎疾患症、月経異常、不妊症など、すべての病気が栄養過剰摂取、身体の冷え、便秘による体内の代謝障害が原因です。
肥満解消には、食事療法や運動療法と同時に、身体の冷えをとり、便秘を治し、腸内環境を整えることが、ダイエット効果を高めるのです。

内臓の冷えは脂肪をとりこんでしまう

肥満は食べ過ぎで太ってしまったのですから、食べる量を減らすことは基本です。しかし、女性の場合、肥満に先立って、多くの人に生理不順や冷え性が見られます。
「身体の冷え」があるということは、臓器がまず冷えているということで、その冷えた臓器を温めるために、脂肪が蓄積されることになるのです。
お腹や腰回りが太るのは、その証拠です。したがって肥満、つまり脂肪をためこまないためには、「身体の冷え」をとることが大切になります。

排泄

代謝障害はなんといっても排泄機能の衰えによるものです。お腹の中には、老廃物がたまると、身体の毒素が栄養障害や肝臓障害を引き起こし、それにより身体の代謝障害を引き起こし、肥満をはじめ様々な病気を生むことになります。

運動

運動は静かに呼吸を充分に行うものを選びます。筋肉には赤筋と白筋の二種類があり、減量効果のあるのは赤筋です。赤筋は体を左右に曲げたり様々な姿勢を維持するなど、ゆっくり静かに体を動かす運動をするときに使われます。
空腹時に階段のぼりをすることもいいですし、乾布摩擦なども効果的です。

生活習慣

減量の自覚をもつためには、身近なところに体重計をおいたり、周囲の人に「ダイエット」をしていることを伝えるのがいいでしょう。最後、一番効果的なのは便秘解消です。

吹き出物よりもツライお肌のトラブルは「シミ」

色白タイプの美人に多い

吹き出物より、もっと治りにくいお肌のトラブルに、シミやそばかすがあります。
昔からそばかす美人といいますが、皮肉なことに、シミやそばかすで悩む女性は、実際の年齢より若くみえ、しかも顔立ちのかわいらしい色白美人タイプにできやすいので、悩みは深刻です。そばかすは遺伝的要因が強く、10歳頃より目立ちはじめ、年頃になると消える場合もありますが、完治は難しいというのが一般的です。
また、そばかすの出来やすい体質の人は、30歳前後からシミにも悩まされやすいものです。

アレルギー疾患にもかかりやすい

このようなタイプの多くは、体質的には、副腎機能不全体質といって体が冷えやすく、自律神経やホルモン系統(主に卵巣、副腎系)及び胃腸の働きが弱いようです。当然、スタミナ不足で疲れやすく、低血圧で平熱は低いのが特徴です。アレルギー疾患にもかかりやすい体質です。

内部要因と外部要因

体質だから必ずシミ・そばかすが出るかというとそうではなくて出るための諸要因が整わないようにすれば、避けることが出来ます。
シミ・そばかすが現れる要因は、皮膚の老化、心の悩み、精神的ショック、過労、妊娠、出産、妊娠中絶、流産、卵巣切除が内部要因としてあげられます。
外衣部要因としては、直射日光に長期間当たる、使用している化粧品が合わない、といったものの他に、生活上の問題として、食生活の乱れや睡眠不足などがあげられます。

シミは治りにくい

シミに悩む方は、日頃から肩こり、頭痛、のぼせ、生理不順、冷え性、疲労感といった症状に悩まされていることが多いようです。
シミはホルモンが関係していますので、更年期を過ぎて老齢化すれば、自然に解消するものの、30代~40代のシミは先に上げた要因を改善しないと治らないのです。

シミの種類

シミは、表皮にメラニン色素が異常に沈着した状態で、医学的には、色素沈着症と言われています。顔面に現れる物としては、シミ、そばかすと呼ぶものの他に女子顔面黒皮症、老人性色素状色素沈着症と呼ばれています。

メラニン色素

色素沈着症は、生死に直接関係しないため医学的にはさほど重視されていませんが、できている当人にとってはツライ症状です。
メラニン色素は褐色~黒色の色素で、表皮基底層にあるメラニン産生細胞でつくられていて、皮膚の色は、ものメラニンの量で左右されます。人種的には、白色人種は少なく、黄色人種から黒色人種へと多くなっていきます。性別、年齢、体質、健康状態によってもメラニン色素の量は変動します。

シミの位置が内臓の障害を知らせてくれる

シミは、このメラニン色素が局所的に異常沈着した症状です。シミは肝斑とも呼ばれ内臓疾患と深く関係しています。

まずは冷えをとる

やっかいなシミは、胃腸、副腎、卵巣、子宮の働きの弱い女性に多いので、過労とストレスを避けて下腹部の冷えをとる工夫をしなければなりません。患部は皮膚温が低くなっていますから、炎症がないならなばマッサージを行います。身体や皮膚の新陳代謝を活発にするために、良質のたんぱく質やカルシウム、ビタミンB2、C、Eの補給も大切ですが、新陳代謝が弱くてそられらを吸収・活用できなかったのが根本原因なのですからまずは冷えをとって身体が温まるようにします。

東洋医学の考え方、治し方

太古の治療

人は誰でも、生まれたからには、健やかに成長し無病息災で天寿まっとうを願うのが普通です。しかし、悲しいことに生きるものの常として、病気にかかっったり、いつかは死ぬといった宿命を負っています。
太古の人々は、病は悪魔の仕業であるとし、治すために呪術を用い、身体の中の悪魔を追い払う工夫をしました。
この原始的な治療法は、東洋医学と同じでした。東洋医学にも、分析と実証を重視する思想が生まれましたが、あまり深められることなく今日に至っています。

東洋医学と西洋医学の違い

その結果、東西両医学は、病にたいする考え方に大きな相違を生じることとなりました。具体的な相違は、「診断法」に現れています。東洋医学では、治療法を決定するために診断を行いますが、西洋医学では病名を決定するために診断を行います。東洋医学では、「局所の病気も全身の不調和から起こる」と考える立場から、病人の症状を重視した心身一如の基本に沿った治療を行います。
これに対して、西洋医学は決定された病名にもとづいて、局所的な治療に重点をおいて行います。

中国医学の特色

さて東洋医学、ことに中国医学の生まれた経過を簡単に見てみます。中国の国土は、東西は沿岸線から砂漠まで南北は、亜熱帯から寒帯までと広大で自然環境は多様です。自然環境が多様であれば、病の姿も多様です。各地の風土によって、病気の内容も違ってきますから、育ってくる治療法も地域ごとに特色がありました。
たとえば、中央地域では導引あん摩(手技)が発達し、東方地域ではへんせきが
西方地域では、とうせきが南方地域では、鍼が北方地域では、お灸がそれぞれ生まれ発達しました。いずれも地域の環境・風土に適した治療法だったのです。

東洋医学の成立

今から2000年前の漢の時代に入って、広大な中国大陸が統一されるとともに、各地の治療法は集大成されしっかりした体系をそなえるようになりました。東洋医学の成立です。
今日、東洋医学というと、湯液(漢方薬)と鍼灸に限られた感がありますが、5種類の治療法が、本来の漢方諸方です。したがって、昔の漢方治療は、鍼・灸・あん摩・導引・漢方薬をいろいろに組み合わせて総合的に行っていたのであって、現在のように鍼専門、漢方専門とバラバラに治療するのは、東洋医学本来の姿からは大きくかけ離れたものです。