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体の声に素直に耳を傾ける

体の声に素直に耳を傾ける というのはどういうことでしょうか?そもそも、純粋に健康を考えた場合、現代社会でベジタリアンを続けることには少々問題があるでしょう。

たとえば、文部科学省が公表している食品成分標準表を比較すると、この50~60年の間に、野菜に含まれるビタミンやミネラルの量が軒並み減少しています。

体の声に素直に耳を傾ける

体の声に素直に耳を傾ける

日本人が大事にしてきたもの。それは「道」と呼ばれます。茶道、柔道、剣道、武道…などで使われる「道」のことで、外国人から見ると奇異な印象を受けるものでもあるようです。

たとえば、勝負事の世界でも、日本では「技を追求すること」や「礼儀作法」を、勝つこと以上に重視するところがあります。

それは自分自身の内面の欲求に従ったもので、簡単に言うと、「自分が納得できるかどうか? 」が基準になります。

いくら周囲に評価され、いい結果が出ていたとしても、自分が納得し、諒解しないかぎり気持ちが晴れず、後ろめたい思いすら湧いてくる。このモヤモヤを解消するためには、内面の欲求を満たし、頭のなかの思いを腸にまで落とす必要があります。

「腑に落ちる」という言葉があるように、アタマ(脳)からハラ(腸)へと思いを落とすことで・納得が生まれるのです。

そこから、「これで大丈夫だ」という自信が湧いてきて心が安定するのです。それが、古くから重視されてきた「腹を作る」ことの意味です。

食事を改善し、腸を元気にすることも、この感覚を養っていくことになると考えてみてください。それは、自分の能力を存分に発揮して、自分が満足できる生き方をする土台になると思いませんか?

それは、たんに健康のために肉食を控えればいいわけではなく、もっと視野を広げ、身体感覚に優れていた日本人の感性を「思い出す」手段としてとらえてほしいのです。

そもそも、純粋に健康を考えた場合、現代社会でベジタリアンを続けることには少々問題があるでしょう。

たとえば、文部科学省が公表している食品成分標準表を比較すると、この50~60年の間に、野菜に含まれるビタミンやミネラルの量が軒並み減少しています。微量栄養素が減っているということは、酵素の活性が低下して食材の生命力が落ちているということ。

有機栽培や無農薬栽培、自然栽培の野菜であっても、こうした生命力の低下がどこまで防げているかはわかりません。「産地直送の新鮮な食材」にしても、栽培環境も栽培法も様々であり、公的機関が認証しているからといって生命力が高いとまでは言えないでしょう。

たとえば、体にいいとされている 玄米菜食 を、1ヶ月ほど試してみても体の調子がいっこうに改善しないなら、どこかに問題があるということです。玄米 の質が思いのほか高くないのかもしれませんし、真面目に取り組むあまり、ストレスになってしまっているのかもしれません。最終的には何を食べるかよりも、どんな気持ちで食べるかのほうが、はるかに重要だからです。

「肉の摂りすぎは体に悪い」と言われる一方で、「肉類を多く食べたほうが長生きできる」というデータもあります。

高齢者だからといって肉を減らすことでむしろ短命になるというのですが、食べ物の質を考えたら、このデータも決して不思議なものではありません。こうした研究では、肉に含まれるタンパク質が重要だとよく説かれますが、このとらえ方がすべてではありません。

「植物の生命力が落ちてしまっている」ところに根本原因があると考えると、不足分を肉で補ってあげたほうが体にはプラスになるとも言えるからです。粗食(菜食)が悪いわけでも、肉食が悪いわけでもなく、体の声を開かずに「正しい食事」を続けようとするところに問題があるのではないでしょうか?

体の声を聞く。それは、「腸の声」を聞くということにほかなりません。難しく考えなくていいのです。お通じの回数、便の硬さやにおいを調べれば、おおよその傾向は見えてきます。

腸内腐敗を引き起こす悪玉菌 は、主にタンパク質をエサにしています。だから肉類の摂りすぎはマイナスとなりはしますが、こうした悪玉菌たちはストレスで増えることもわかっています。つまり、食事だけが問題なのではなく、ライフスタイルにも原因が隠されているということです。

それだけストレスフルな生活であり、しかもそのケアがうまくできていないということです。その意味では、肉食もそれ自体が悪いわけではなく、ストレスと結びつくことで腸内腐敗をうながす側面が強いだけと言えます。

肉類をガツガツと食べている時の心の状態が、ストレス解消の意味合いが強いものだとしたら、確かに体には良くありません。腸も喜んではいないでしょう。

昔の日本人 はそんな食べ方をしなくても、ずっと元気に過ごせていたのです。ライフスタイルの一部として食事の意味をとらえ直し、「肉を食べれば元気になれる」という発想をいったん保留にしてみる。そして代わりに、もっと植物や微生物の力を見直してみてはいかがでしょう。

そこに伝統的な日本食の価値も浮かび上がってきます。こうして食事の意味が柔軟にとらえられるようになれば、もう少し排他的でない、「ちょうどいい加減の菜食主義」が実践できるはずです。
まずは、習慣となってしまっている現代人特有の便秘を解消し、スッキリしたところで脳と腸の声に耳を傾けてみるのがいいでしょう。

昭和30年代の食習慣は腸にプラスになるか?

日本人は脳が発達しても 「 拡大発展病 」 にならなかった

日本という国が特徴的なのは、こうした拡大発展病にあまり雁患しなかった点にあります。
日本列島は大陸のほかの地域(たとえばメソポタミアやエジプト、中国など) と比べると農耕の開始がかなり遅れ、縄文時代という1万年にもおよぶ独自の狩猟採集社会が続いていました。

それはわざわざ農耕を営まなくても暮らしていけるほど豊かな自然環境が用意されていたからであって、かつての歴史学が語ってきたような「貧しかったから」「遅れていたから」というものではないでしょう。

いまから1万3000年ほど前、大陸から日本列島が切り離されて以降、四季がめぐりくる特有の気候風土が形成されていきました。

日本人は脳が発達しても 「 拡大発展病 」 にならなかった

日本人は脳が発達しても 「 拡大発展病 」 にならなかった

大陸からの寒流が対馬海流で温められて蒸発し、日本列島の山脈にぶつかることで豪雪地帯が生まれ、この雪から清流が生まれ、水が大地を潤すことでブナ林も広がってきました。

この過程でハンティングの対象だったナウマン象やオオノツジカなどは捕れなくなり、植物の貯蔵に適した土器が用いられるようになりました。

狩猟採集時代と言いながらも、狩猟にあまり依存しないですむ、かといって農業のような集団生産にも進んでいかない、自然とのつながりを土台にした半定住型の社会が築かれていたと思われます。

この恵まれた環境のなかで徐々に肉食の割合が減り、植物食へと回帰する傾向があったわけです。

こうした社会に稲作が導入されたのは、寒冷化によって主食にしていたクリやドングリなどが十分に採取できなくなったことなどが関係すると言われますが、ライフスタイルまで急に崩れ去ったわけではないでしょう。

むしろゆるやかに持続したまま稲作が始まり、遅まきながら「拡大発展病」にも雁患していったはずですが、この1万年の貯金が症状の悪化を抑制した面も強かったのではないでしょうか。

日本が「和」の社会と言われているのも、この貯金のたまものであるはずです。原始社会に見られる共同体感覚がほとんどそのまま農耕社会に持ち越されたため、社会が複雑化しても争いごとを好まない感覚が温存され、自分たちのアイデンティティにまで根づいていったと考えられるのです。

もちろん、その背景には食事の内容も関係しているはずです。これまで繰り返してきたように、生物は腸をベースにして生命活動を営んでいる存在です。

腸の感覚を優先する ことで心地よさが生まれるように私たちの体はできているわけです。

「和の民族」である日本人は、この2つをうまく操り、争いを未然に防ぐことに長たけています。それは起源の古い「腸」のほうに自分自身の土台があることをわかっていたからでしょう。なぜなら、頭でっかちの状態であるかぎり、相手のホンネを読み取って調和をはかることなどできないからです。

ところが近年、食事が変わり、腸の働きが低下してしまったことで、ホンネがうまく感じ取れなくなり、頭でっかちの人が増えてしまった。理屈ばかりで相手の感情がうまく感じ取れないのです。

禅宗のお坊さんが座禅に打ち込む意味も、こうした脳と腸の関係からひも解くと一気にわかってきます。すなわち、被らは座禅によって下半身をどっしりと安定させ、脳の過剰な働きから離れることで、脳と腸の葛藤を乗り越え、心身の調和をはかることを目指していると言えるのです。

自分は、本当は何を望んでいるか?そして何を望んでいないのか?理屈ではなく、腸(腹)で感じる。それは、体の中心に眠っている生物としての感覚を「思い出す」プロセスと考えてもいいでしょう。心地よいことも不快なことも、自分の気持ちはすべて腸の反応として現れます。

最近、ストレス性の下痢症状 ( 過敏性腸症候群 ) に悩む人が増えているのは、脳の働きに頼るあまり、腸で感じているホンネを抑圧してきた結果かもしれません。

過敏性腸症候群 は大腸に腫瘍や炎症など症状の原因となるような病気がないにも関わらず、おなかの調子が悪く痛みが続いたり、便秘や下痢などの症状が数ヵ月以上にわたって続く消化管の機能障害の疾患です。 排便することで楽になる腹痛と、下痢や便秘などの便通異常が主な症状です。 ストレスが症状を悪化させる要因の1つと考えられています。

これは、体の発するサインですから、決して悪いことではなく、体の中心に目を向けていくきっかけにもなります。過敏性腸症候群 が発するサインとみなければいけません。

ほんの少し視点を変えるだけで、「自分の望んでいること」はキャッチできるのです。

禅の世界で精進料理のような菜食が取り入れられているのも、腸の働きを安定させ、感情の乱れを最小限に抑えようとする意図からでしょう。

肉食から草食へと切り替えるのですから、より本質的な見方をするならば、「猿の時代に回帰する」とも言えるかもしれません。

人の「業」が肉食によって増幅したとするならば、「まずは猿まで戻って業を取り除き、生物としての感覚を思い出せ⊥ というわけです。「肉食を制限することで健康が得られる」というとらえ方だけでは、こうした意識とのつながりが見えてきません。

実際、菜食に徹したお坊さんが長生きしているとはかぎりません。彼らが求めているのは「憤り」であって、健康ではないのです。日本食についても ヘルシー であるということばかりに重きが置かれると、日本人が何を大事にしてきたのか? 肝心な点が見失われてしまうでしょう。

昔の日本人の強さを取り戻すならやっぱり 「 発酵力 」

昔の日本人の強さを取り戻すならやっぱり 「 発酵力 」 です。腸の環境を整えるのに大事なキーワードは 発酵 です。日本人の腸内環境は 発酵 によって改善されます。

発酵力 ぬか床

発酵力 ぬか床

日本人の食事が年々欧米化し、大豆 を使った 納豆 や 味噌 、 しょうゆ などの調味料 、 漬けもの といった昔ながらの和食を食べる人は減少しています。

「 日本食 → ヘルシ →  長寿 」と考える人は多いのですが、それは、食べ物と人との関係のほんの1つの側面にすぎません。

確かに日本人は、この50~60年の間に平均寿命を飛躍的に延ばしました。これについては、意見もわかれるところで 「 薬漬けの医療によってただ延命させられているだけ 」 という意見もありますが、高齢者全員が寝たきりだとか、ひどい不調を抱えているわけでもありません。ただ、寝たきりの方も同時に増えているのは事実です。

「 メタボ 」 も問題視されていますが、本当に メタボ が問題になっているのは 「 肥満大国 」 アメリカです。

一般的なアメリカ人の食事から見れば、日本食は明らかに ヘルシー です。食生活が欧米化し、ジャンクフードが増え、飽食になったことで生活習慣病が増えているのは間違いありませんが、世界的に見れば、そこまで 「 ひどい 」 わけではなく、まだまだ ヘルシー 。

とはいえ、 「 健康長寿 」 についてはもう少し考えなければなりません。それは、寿命が過去のどの時代よりもずば抜けて延びたからといって、「現代人の健康レベルが過去のどの時代よりも高い」とは言えないからです。

「 あまり医者の世話にならずに、ある程度、長生きできるくらいの健康 」  医療現場ではこのレベルの 「 健康長寿 」 が目標とされているわけですが、それは社会生活を営むうえでの最低限度の基準でしかありません。

「 肉食 」は体に良い? 悪い? どっち?でも実際に私たちが求めているのは、この最低限度の 「 健康長寿 」 ではなく、もっと活力に満ちた高いレベルであるはずです。はたして私たちは、昔の人よりもエネルギッシュに、いきいきと過ごせているでしょうか?

自分の能力を最大限に発揮できる 「 健康レベル 」 を、どのくらい保てているでしょうか?
健康診断の数値がすべて良好だったとしても、それがその人のバイタリティーやヤル気と完全に重なるわけではありません。そう考えると、数値にしにくいもののなかに、本当の健康の基準があることが見えてくるでしょう。

こうしたバイタリティーややる気を「生命力」と呼ぶならば、日本人の生命力は明らかに落ちてしまっています。断言する理由を、この先でいくつか挙げていきますが、「過去最低」と呼べるくらいのひどい水準かもしれません。

数値化できないからと言って「ない」と見なしてしまえば、いまの日本社会の抱える問題がいっこうに見えてきません。こんなに低い健康レベルでは、困難に立ち向かい、問題を解決していくことも不可能です。生命力が落ちてしまっている以上、不況や日常生活で襲いかかってくる危機から脱け出す糸口も、なかなか見つけられないでしょう。

グローバルになった社会のなかで自己の能力をフルに発揮していくためにも、その土台となる生命力(バイタリティー) を高めていく必要があるのです。

日本人の生命力が落ちてしまったのはわかるとしても、過去最低というのは大げさすぎるでしょ!と思われた方もいるかもしれません。

しかし、生物としての体の構造をふまえると、心身の健康の母体はあくまでも腸にあります。腸こそが、食べ物を取り込み、排泄する消化管であるのです。日本人は植物を中心とした独自の食文化を築くことで腸の健康を養い、それゆえ高い生命力を維持してきましたが、現代はどうでしょうか?

生命力を養う食べ物を本当に摂取できているでしょうか?戦後の日本では米の摂取量が激減し、代わりに肉類や乳製品の摂取が大幅に増えました。発酵食品については、味噌や醤油の 「 質 」 そのものが落ち、漬け物もあまり食べられなくなりました。
最近は、減塩には 漬け物 がよくない!とまで言われてしまっています。

質が落ちたというのは、原材料の質のほか、発酵のレベルも関係しています。和食の代わりに ヨーグルト などが食べられる機会が増えましたが、食文化の根幹が崩れてしまったところに外国の発酵食品を少しばかり取り入れても、生命力の低下を挽回するほどの効力には及びません。
ヨーグルトが日本人の体質に合っているか?も疑問があります。

逆に、毎回、腸と相性がいい食事が当たり前にできていた過去の日本人は、一般的に想像されている以上に生命力が強かったと考えられます。それは、たとえば伝統的な武術の動きなどを見ていくと体の使い方そのものが非常に合理的で、現代の一般的なアスリートとは動きの質がまったく違うことからもわかります。

動きの質が違っていれば、生き方の質も違っていたはず。庶民も含めて、立ち居振る舞いそのものが現代人より秀でていたでしょう。彼らは肉類をあまり摂らず、特殊な筋力トレーニングも、ストレッチもせずに、こうした美しさや、ナチュラルな強さを維持していたわけです。

表面的な健康寿命は延びたが、根幹にある生命力は著しく低下しました。もともと持っていた食文化を捨てていくことで、生物としての強さまでも失いつつあるのが、現代の日本人の姿ではないでしょうか。学校で習った体育やスポーツの世界の常識しか知らないと、イメージが湧きにくいかと思いますが、体の使い方ということに関しては、いまとは比べものにならないくらい昔の日本人は秀でていたのです。