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心に悩み があるときは、自然に帰る

心に悩み があるときの対処方法はとても簡単です。昔から「病は気から」と言います。もし心に悩みがあり、どうしてもその悩みからぬけ出せないときは、いつもかわることなく確実に助けてくれる自然の広く温かいふところを信じて、自然に帰ることを目標に自然療法を実行していくことです。

心に悩み があるときは、自然に帰る

心に悩み があるときは、自然に帰る

本当に信頼しているなら、効果は見えなくても10日や1ヶ月で中止したりはしないし、「必ず良くなる」という気持ちがその治療の効果を確実なものにします。

自然の力は、私たちが考えるよりも偉大です。タケノコを例にとってみても、タケノコはアスファルトさえもち上げて出てきます。その芽は柔らかいのにどうしてと思いますが、それが自然の力です。そしてひと晩でニョキニョキとのびるあの生命力です。その自然の力をとりいれることができるなら、人間の小さな力ではない自然の無限の力が、あなたを快方へと導いてくれることでしょう。

この力をとりいれるためには、自然の食物を心をこめて手づくりすること。生活にしっかり根づかせるのは、自然に対する感謝の心なのです。

ただ、ここで大事なことは、力んで緊張してがんばらないことです。よく健康になるためにといろいろな健康法を熱心にして、ジョギングなども一生懸命しているのに、急に亡くなったという話を聞きます。自分のがんばりではなく、自然体で力をぬいてラクになることです。即効性を期待すれば、かえって細胞を硬化させてつまってしまいます。

心の明るさや豊かさが大切だということを、自然の力は教えてくれます。また、心と神経は結びついていて、心のごとく働くことも悟ることができます。不自然な食生活を続けて長年かかってつくり上げた病気が、10日や20日で治ると考えるほうが間違いです。1年がかりでつくった病気は、2年がかりで治すくらいの気持ちが大切です。

最近は、病院や治療所めぐりのベテランが増えています。ちょっと医者にかかってだめ。次に、漢方薬を飲んでだめ。またちょっと病院に通っはりてやはりだめ。民間薬、鍼、灸をやって続かない。

またはじめの医者のところに顔を出す。こうしてめぐりめぐった後にやって来る、という方が多いのです。病気を治すには、8割は心のもちかたです。人に頼るのではなく、毎日の生活の積み重ねが真の健康をつくり上げることをまず肝に銘じて出発すると、目標は必ず達成されます。

現代医療を非常識な視点で見る
https://complete-guide.net/memo/health/14/

頭で考えるのではなく体で感じる

頭で考えるのではなく体で感じる とはどいうことでしょうか?栄養学も自然科学ですから、まさに、自然からのいただきものです。物質を分析した形だけを見るものではありません。そこにお天道さまがある。分析によって知った今までわからなかった知識をもっと深く掘り下げたとき、そこにいのちがあるのです。

頭で考えるのではなく体で感じる

頭で考えるのではなく体で感じる

魚の骨でも骨せんべいにしてパリパリに油で揚げて食べる知恵は、お天道さまに申しわけない心が根となってあるからです。

捨ててしまうコマツナの根も、コンプや煮干しのだしがらもありがとうの心で、おいしく手品みたいに形をかえて食卓に踊り出る。これはけちで捨てないのではありません。「いのちにありがとう」の心がさせるのです。

このお天道さま思想は、端的で明快。さわやかな感触の鋭い民族の根を養いました。

ところが、今は挨拶にしても、おはようございます、いただきます、ご馳走さま、おやすみなさいと言葉にするだけで、肝心なことを伝えようとしないのです。何のためにするのかという、その根底となる心を教えない。よそへ行ったときに恥をかくから、親が笑われるから、世間体が悪いから、お里が知れるからと言って、肝心なことを伝えようとしない。心を伝えないから、スーツと入らなくて子どもも納得できないのです。

これでは、表面を気にして人のことが気になる人間になってしまう。立派になれと言っても縮んでしまいます。この頃、自然農法、有機農法が大事というと、箱だけそれらしくつくって、農薬をどっさり使っても有機農法無農薬で送り出したりします。

また、2001年9月10日に千葉県でBSEの疑いがある牛が発見されたと農林水産省が発表し、大騒ぎになった狂牛病問題では、うそつき食品が次々と現れました。心がないと、本当のことをしないのです。食べものも、栄養学で言う知識を覚えただけでやめないで、体に入ってどうなるのかを考えることです。

細胞と神経は心で働くのです。食物は、そのいのちを人間に与え、姿をかくして人間のいのちとなるのです。そしてかすとなって出てくる。それを浄化してくれるトイレにもありがとう。その「いのちにありがとう」を忘れると、理屈だけ言って、何で私だけトイレ掃除云々と不平不満の生活となってしまうのです。すべてのことはつながっているのです。そのつながりにまで想像をめぐらすことが大切なのです。

日本の 「 お天道さま 」 思想とは

日本人は 「 お天道さま 」 思想 という考えかたをします。例えば「食べものを捨てたらお天道さまに申しわけない」と言います。そのお天道さまって何でしょうか?」

「太陽と思っている人」と「太陽でなないと思っている人」が半数ずついるようです。

人の顔を見て、みんなはどうかなとみんなに合わせる。みんなで渡れば恐くない式で周囲を見るのです。今はみんな便利で簡単でラクなほうが良い。損したくない。お金が大事で心をどこかに忘れてきてしまうのです。

「 お天道さま 」 思想

「 お天道さま 」 思想

これまで、日本の教育の根底はお天道さま教育でした。

お天道さまとは天道と書きます。例えば、昔の人は、お魚を食べるとき、このお魚もお天道さまのおかげと言って骨までしゃぶって、お茶につけて飲みました。無駄にしたらお天道さまに申しわけないという考え方です。

そうです。あの見える太陽の背後にあるもの、あの雲をつくり出しているその背後にある見えない偉大な力。つまり、人間の力のおよばない自然の力をお天道さまと言ったのです。

天とはあの青い空ではありません。あの空の背後にある力そのものです。天に恥じない心を大切にし、天に申しわけないと言ったのです。天とはそれです。

今は天と言えばあの青い空。地と言えば窒素、リン酸、カリウムの物質の土。土はいのちですがそれが見えないから、ああわかったわかったと、味もそっけもないのです。

こんな経験はありませんか?親に叱られた記憶です。友達が、お菓子をもっていて私に半分くれると言ったので、喜んで二人で木の根っ子に座って食べました。しかし、それはその子が親の財布から盗んだお金で買ったお菓子でした。それがばれて親に叱られた友達は、理由を聞かれたときに、私が食べたいと言ったからと答えたのです。

母は、私を叱りました。私が「もらったのだ」と言っても信じてくれなかったのです。一生懸命違うと言い張ると、「うそまで言うのか」と叱られ、子ども心にももうそれ以上説明のしようもなく、悲しくて泣きながら外に出て、じっと天を仰いで空を見ました。

そして「お天道さま、わかってるよね」と、涙をボロボロ流しました。「そうだ! お天道さまが見てる。わかってる。もういいや」と、心で受けとめて納得し、泣くのをやめました。また、何かのときに「うそを言う」と叱られたとき、「お母さんはいつもお天道さまが見てる、知ってるって言ったでしょう。

お母さんがわからなくてもいい、お天道さまが知ってるもの! 」とすごい勢いで言ったら、母がびっくりして「わかった」と言いました。これがお天道さま教育であり、よく言う「おかげさま」の心です。

今の学校教育でも、家庭教育でもこのお天道さま思想が失われ、「人間をこえた大きな力があるんだ」ということを子どもに教えない。そこに教育の限界があると私は思います。この大きな力を知るとき、枠も垣根もなく、広く深く生きられるようになるのです。それを先祖達は端的に伝え残してくれました。これは日本にしかない大変な遺産です。

生かされているという感覚

生かされているという感覚 はとても大切な感覚です。健康になりたい、幸せになりたいと、願うのは誰も一緒です「ではその幸せ健康は根ですか? それとも出てきた枝葉ですか? 」とたずねると、誰もが「根です」と答えます。

生かされているという感覚

生かされているという感覚

大事なのは根っこ、根っこが育たなければ葉や花は育たない

しかし、これは根ではなく葉なのです。健康や幸せや自由や平和といった、人間が願うことがらは見えないいのちです。根から実って現象として出てきているのですから、枝葉です。この当たり前のことなのに多くの人はびっくりしています。

健康も幸せも不幸も病気も、枝に実った実なのです。この辺からすでに考えかたが違って、健康という願いばかり追いかけて根を枯らすから、不健康の実りばかり出てきてしまうのです。

体の健康ばかり追いかけても、毎日の生活が健康的でなければ実現しません。その生活とは先にもふれましたが、衣、食、住、人間関係です。

ですから願いばかり先行しても、健康体に導く生活ができていなければ、願いとは裏腹な心のようにしか出てこないのです。生活を健康にしようと思うなら、心を健康にしなくては難しいのです。

心の健康とは、どう生きるか、どう考えるかです。それによって行動が違ってくるのです。食についても、いのちの尊さがわからなければ一時しのぎの三日坊主で終わります。朝の目覚めもおはようの挨拶も、この、いのちへの感謝の心があるかないか、生きてるのか、生かされているのかでまるで違ってくるのです。

何度もくり返しますが、心臓も肺も自分が動かしてはいないのです。これは自然の働きです。太陽を照らし雨を降らせ、土をうるおす、いのちあふれる自然の恵みをありがたくいただくのか、頭だけ、理屈だけで食べるのか。それが「いただきます。ご馳走さま」に表現されます。

日々の挨拶は生活の基礎、心の基礎、人間関係にまでつながります。住居にしても畳は酸素を出し、木や紙は生きて呼吸して、湿気の多い日本の風土に合うのは木造建築です。しかし、国土が狭いので今は鉄筋が多くなっています。そのため換気に気をつけ、自然をとりいれる工夫をするのも大切なことです。そんな日々の生活の健康が基礎となって、心を養います。それによって幸せも健康も育ち、運命の健康へと運ばれてゆくのです。