アレルギーのない環境

幼い頓に身につけた免疫力

私が子どもの頃に育った環境というと。父親が結核の専門医だった関係で、私は人気のない田舎につくられた国立の結核療養所の敷地にある宿舎で育ちました。

病原菌の巣と目される宿舎から小学校に通っていたので、大変いじめられました。しかし、私はいじめられても死のうなどと思ったことは一度もありませんでした。いじめっ子と戦いながら自然のなかで元気いっぱいに遊んだものです。

いじめに負けない強い心を持つことができたのは、小学校低学年から世話をしていたヤギのおかげかもしれません。毎朝餌をやり、乳を搾り、天気の良い日は小屋から草地に出してやり、本当にかわいがっていました。
私が学校から帰って来ると、姿の見えないうちからヤギのメェメェ鳴く声が聞こえたのです。ヤギのはか、ニワトリを30羽、ウサギを5羽飼っていたこともあって、自分より弱い者がいることを学びました。

そんな経験から、ペットを飼うのは子どもにとって大変良いことだと思います。情緒面の発達から見て、大き皇息味があります。また、遊びといえば、田んぼでドジョウを捕ったり、カエルをつかまえて肛門に麦わらを突っ込み、そこから息を吹き込んでお腹をパンパンに膨らませたり、トンボの尾を切って飛ばしたりしました。

少年時代は、いつも泥んこになって転げ回っている自然児でした。

ぉかげで私は、70歳を過ぎてもなお、いたって健康です。大人が「汚い」と顔をしかめるような環境のなかで自由に遊び、細菌やウィルスにさらされる機会が多かったため、幼いうちに免疫力がついたのだと思います。

お腹の中は回虫がいっぱい

子どもの頃の私のお腹には、回虫がいました。1950年代は、それが当たり前でした。

とくに私は、畑に行ってトマトを丸かじりしたり、収穫後の白菜の根っこを生でむしゃむしゃ食べたりしていましたから、回虫がいつもお腹にいました。回虫はだいたい生野菜から体内に侵入します。当時は肥料が人糞で、発酵させて使っていましたが、なかには少し「ナマの人糞」が残っていることもあったようで、その人糞のなかに、回虫の卵がそれこそうようよといたわけです。回虫は1日に20万個の卵を産みますからすぐに感染してしまいます。

日本人はそのころ生野菜などは食べず、お漬物か煮物、せいぜいおひたしにして食べていました。それが、回虫を無防備に体内に取り込ませない知恵でした。
しかし、畑で生野菜を食べていた私のお腹のなかは「回虫だらけ」になったのです。

戦後になって、各市町村に「寄生虫予防会」が組織され、小中学校を中心に「回虫駆除デー」が設けられました。きっかけは、アメリカ人が日本に進駐したときに、生野菜を食べたら回虫だらけだったことでした。西洋では日本と違って肥料に人糞を使わなかったので、野菜を生のサラダにして食べる習慣があったのです。当時、日本に駐留したアメリカ人は、免疫のないまま一気に大量の寄生虫が体内に入ったため、お腹をこわして、相当苦しんだようです。

日本で人糞を肥料にするようになったのは、徳川家康が四十万人の兵を連れて関東にやって来たときからです。関東の土地は痩せているので、四十万人の食料を確保するのが大変でした。それで、人糞を肥料にして、野菜を育てることにしたことがきっかけです。

だから、江戸時代は便の値段がものすごく高かったのです。長屋の大家さんが長屋の便をすべて管理しており、「家賃はいらないから立派な便をしてくれ!」と言ったとか、言わないとか。おかげで江戸の町は、便や生ゴが肥料としてリサイクルされて、非常に清潔に保たれていました。

その点、19世紀初頭には江戸と同じ100万都市であったフランス・パリでは、便をあくまでも汚物と考え、道に投げ落としていたから大変に汚かったそうで、女性は、2階から落ちてくる便を浴びないようにパラソルをさし、道に落ちた便を踏まないようにハイヒールをはき、どこでも便ができるように落下傘みたいなスカートをはいたと伝えられています。そのおかげで、フランスでは下水道が発達したのです。

日本に駐留したアメリカ人が、日本の生野菜に閉口したので、マッカーサーが直々に吉田首相に「この不潔さを何とかしなさい」と苦言を呈して設けられたのが「回虫駆除デー」だったのです。

私たちは月に1度のこの日を楽しみにしていました。海人草という海藻を大きな鍋でぐつぐつと煮て、その煮汁を飲まされるのですが、これが効いて夕方にはお腹のなかの回虫がお尻から出てきます。その長い虫を引っ張り出すのが、非常に気持ちよかったのです。

当時の子どもたちははぼ全員 が「回虫持ち」でした。回虫と毎月顔を合わせているので、慣れっこでした。

それに、引っ張り出した回虫を洗って、翌日学校に持っていくと、ど褒美がもらえたのです。一番長い回虫を出した人は一等賞で、たくさん出した人は最多賞でした。回虫の駆虫デーの翌朝は、みんなの回虫が教壇に山と積まれました。

スギ花粉は昔のほうが多かった

スギをはじめヒノキ、ブタクサ等さまざまな植物の花粉がアレルゲンとなって、くしゃみや鼻水、目のかゆみなどを起こす花粉症は、どんどん低年齢化が進んでいます。その背景には、大気汚染による免疫増強因子の増加や、都市化および住環境の変化、スギの植生・花粉飛散量の増加など、さまざまな因子が関与していると言われてきました。

本当にそうなのでしょうか?

大気汚染はフィルター等の技術のない昔のほうがひどく、スギ花粉だって青から飛んでいます。その頃に花粉症になる人はほとんどいなかったのですから、これらの理由は少し説得力に欠けます。

回虫をはじめとする「寄生虫感染率が急減したこと」が大きく影響しているのかもしれません。

昔の子はスギ花粉まみれだったはずです。スギ花粉といって、竹筒でスギの実をパチンと撃つ遊びのために、花粉でまっ黄色になりながらスギの実をたくさん拾い集めたものです。

女の子に「金髪にしてあげるよ」と言って、花粉を髪の毛にいっぱい塗ってあげたこともあります。女の子にモテたい一心で編み出した遊びですが、女の子にも非常に喜ばれました。私たちの時代は、誰も彼もそんなふうにスギ花粉まみれでしたが、子どもたちは誰も花粉症にはなりませんでした。長じて、花粉まみれの「回虫持ち」だった少年時代のこの経験が、「寄生虫がアレルギーを抑える」研究を始めるヒントにもなりました。

ここまで私は回虫やサナダ虫など寄生虫の話ばかりを並べてきましたが、いまは、「アレルギー反応は寄生虫だけではなく、細菌やウィルスなどの微生物が抑制する」ことがわかってきました。

宿主にやさしいのは、寄生虫も細菌・ウィルスも同じです。彼らは1人では生きられないからこそ、宿主の免疫バランスを保つなどの役割を担ってきたように思います。

細菌やウィルスは、必要以上に排除することなく、ふつうに共生していればよい影響を受けることができるのです。ただし、寄生虫や紳菌・ウィルスのなかで人間に悪さをしないのは、大昔から人間とうまく共生しているものだけです。たとえば、キタキツネに寄生するサナダムシであるエキノコックスや、中国発祥のSARSウィルス、鳥インフルエンザウィルスなど、動物に寄生するものには、人間にとって「怖いもの」もいます。その点は誤解してはいけません。大変なことになってしまいます。

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