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昔の日本人の強さを取り戻すならやっぱり 「 発酵力 」

昔の日本人の強さを取り戻すならやっぱり 「 発酵力 」 です。腸の環境を整えるのに大事なキーワードは 発酵 です。日本人の腸内環境は 発酵 によって改善されます。

発酵力 ぬか床

日本人の食事が年々欧米化し、大豆 を使った 納豆 や 味噌 、 しょうゆ などの調味料 、 漬けもの といった昔ながらの和食を食べる人は減少しています。

「 日本食 → ヘルシ →  長寿 」と考える人は多いのですが、それは、食べ物と人との関係のほんの1つの側面にすぎません。

確かに日本人は、この50~60年の間に平均寿命を飛躍的に延ばしました。これについては、意見もわかれるところで 「 薬漬けの医療によってただ延命させられているだけ 」 という意見もありますが、高齢者全員が寝たきりだとか、ひどい不調を抱えているわけでもありません。ただ、寝たきりの方も同時に増えているのは事実です。

「 メタボ 」 も問題視されていますが、本当に メタボ が問題になっているのは 「 肥満大国 」 アメリカです。

一般的なアメリカ人の食事から見れば、日本食は明らかに ヘルシー です。食生活が欧米化し、ジャンクフードが増え、飽食になったことで生活習慣病が増えているのは間違いありませんが、世界的に見れば、そこまで 「 ひどい 」 わけではなく、まだまだ ヘルシー 。

とはいえ、 「 健康長寿 」 についてはもう少し考えなければなりません。それは、寿命が過去のどの時代よりもずば抜けて延びたからといって、「現代人の健康レベルが過去のどの時代よりも高い」とは言えないからです。

「 あまり医者の世話にならずに、ある程度、長生きできるくらいの健康 」  医療現場ではこのレベルの 「 健康長寿 」 が目標とされているわけですが、それは社会生活を営むうえでの最低限度の基準でしかありません。

「 肉食 」は体に良い? 悪い? どっち?でも実際に私たちが求めているのは、この最低限度の 「 健康長寿 」 ではなく、もっと活力に満ちた高いレベルであるはずです。はたして私たちは、昔の人よりもエネルギッシュに、いきいきと過ごせているでしょうか?

自分の能力を最大限に発揮できる 「 健康レベル 」 を、どのくらい保てているでしょうか?
健康診断の数値がすべて良好だったとしても、それがその人のバイタリティーやヤル気と完全に重なるわけではありません。そう考えると、数値にしにくいもののなかに、本当の健康の基準があることが見えてくるでしょう。

こうしたバイタリティーややる気を「生命力」と呼ぶならば、日本人の生命力は明らかに落ちてしまっています。断言する理由を、この先でいくつか挙げていきますが、「過去最低」と呼べるくらいのひどい水準かもしれません。

数値化できないからと言って「ない」と見なしてしまえば、いまの日本社会の抱える問題がいっこうに見えてきません。こんなに低い健康レベルでは、困難に立ち向かい、問題を解決していくことも不可能です。生命力が落ちてしまっている以上、不況や日常生活で襲いかかってくる危機から脱け出す糸口も、なかなか見つけられないでしょう。

グローバルになった社会のなかで自己の能力をフルに発揮していくためにも、その土台となる生命力(バイタリティー) を高めていく必要があるのです。

日本人の生命力が落ちてしまったのはわかるとしても、過去最低というのは大げさすぎるでしょ!と思われた方もいるかもしれません。

しかし、生物としての体の構造をふまえると、心身の健康の母体はあくまでも腸にあります。腸こそが、食べ物を取り込み、排泄する消化管であるのです。日本人は植物を中心とした独自の食文化を築くことで腸の健康を養い、それゆえ高い生命力を維持してきましたが、現代はどうでしょうか?

生命力を養う食べ物を本当に摂取できているでしょうか?戦後の日本では米の摂取量が激減し、代わりに肉類や乳製品の摂取が大幅に増えました。発酵食品については、味噌や醤油の 「 質 」 そのものが落ち、漬け物もあまり食べられなくなりました。
最近は、減塩には 漬け物 がよくない!とまで言われてしまっています。

質が落ちたというのは、原材料の質のほか、発酵のレベルも関係しています。和食の代わりに ヨーグルト などが食べられる機会が増えましたが、食文化の根幹が崩れてしまったところに外国の発酵食品を少しばかり取り入れても、生命力の低下を挽回するほどの効力には及びません。
ヨーグルトが日本人の体質に合っているか?も疑問があります。

逆に、毎回、腸と相性がいい食事が当たり前にできていた過去の日本人は、一般的に想像されている以上に生命力が強かったと考えられます。それは、たとえば伝統的な武術の動きなどを見ていくと体の使い方そのものが非常に合理的で、現代の一般的なアスリートとは動きの質がまったく違うことからもわかります。

動きの質が違っていれば、生き方の質も違っていたはず。庶民も含めて、立ち居振る舞いそのものが現代人より秀でていたでしょう。彼らは肉類をあまり摂らず、特殊な筋力トレーニングも、ストレッチもせずに、こうした美しさや、ナチュラルな強さを維持していたわけです。

表面的な健康寿命は延びたが、根幹にある生命力は著しく低下しました。もともと持っていた食文化を捨てていくことで、生物としての強さまでも失いつつあるのが、現代の日本人の姿ではないでしょうか。学校で習った体育やスポーツの世界の常識しか知らないと、イメージが湧きにくいかと思いますが、体の使い方ということに関しては、いまとは比べものにならないくらい昔の日本人は秀でていたのです。

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